11-3-1



セリン「実を言うとね。こちら側では既に、君たちウェイレスト魔術師サークルの実情がどのようなものか、ほぼ把握している」

そう言われて、警戒するオタマ。
当然のことだった。

オタマ「…何を、知ってるって?」

ウェイレスト魔術師サークル。
彼女の所属は、そもそもあまりメジャーな組織ではない。





11-3-2


険しい山中に建てられた広大な寺院。場所こそウェイレストから近いが、道なき道を行き、反り立つ崖を登らねば到達できないところにある秘境。
元はドゥーマーの遺跡であったその場所を、数十年ほど前にやってきた魔術師達が居住地、兼、自己鍛錬の場として整備した。
その彼らこそ、ウェイレスト魔術師サークルと呼ばれる集団だ。

彼らの理念は、「知識こそ力」であると主張し、大衆に魔法を教えると共に危険な術が広まらないよう管理するといった魔術師ギルドや大学などとはまた違う。
魔術というものは使用者の精神面による効果の違いもまた大きい。
であるから、瞑想や自己研鑽によって精神面を鍛え上げ、より強力な力を得られるようにしていくことでこそ真理に到達できるのである、という思想もまた存在している。
ある意味、ノルドが敬意を払っているグレイビアード達のシャウトの体得にも通じるような、マジカの道。その求道者達が集うのが、このサークルだった。

その思想による研鑽の成果は既に出ていた。
単純に戦力で測るなら、サークルの魔術師達は今すぐにでもウェイレストの王宮を攻め落とせるだろう。それも鼻歌交じりで。
しかし、その実力は皆の知る所ではない。

セリン「先に安心してもらっていいが、サークルの中にスパイはいないよ。というか、これは後で判ったことだが、おそらく君たちにスパイ行為は通用しない。こちらの勝手なイメージで言うなら、サークルはマジカの修行僧の集団だ。思想統制が効いてる。少なくとも、修練をサボるような奴はいない」

オタマ「…なんだ。そんなの当然じゃない。師匠の教えが徹底してんだから。強くなろうとしない奴なんて、生き残れない」

セリン「君の師匠にケチをつけるつもりもないよ。実際に、その指導の成果である君を目にしてるからね。夜母との戦いを見て、嫌というほど判った。君たちだって、異常な域に達してる。それがただ、力を誇示するためだけだなんて思えないな」

オタマ「…そんなこと」

ない、と言い切れない部分がある。
オタマも疑問を感じていたからだ。
昔は、こんなんじゃなかった。

セリン「さっきも言ったが、君たちの異常性に気づいたのは、別にスパイが中にいるからではない。サークル自身ではなく、その取引先の帳簿を勝手に見せてもらって知ったことだ。6年ほど前から、対外的な行動に変化がある」

さっきの話と同じ、6年前。
だが、今回の意味は違う。
オタマの中の何かが、警告を始めた。

セリン「それまでは、ただ単純に、魔術を極めようとするだけの集団だったのだろう。だが、それ以降は明確に違う。外部に影響力を広げようと動いている。君がスカイリムに居るのも、その一環じゃないのか?」

オタマは沈黙する。
指示されて来ているのは事実だ。
その内容には、納得が行っていないが。

セリン「…まぁ、少なくとも君にはそんなつもりはないかもな。しかし、政治不干渉を貫くのであれば、サルモールと抗争になったりはしないはずだ」

オタマ「あんた… サルモール側の情報を?」

セリン「奴らは記録してるよ、たとえサルモールが全滅した戦いでもね。ウェイレスト魔術師サークル攻略作戦の報告書、帰還者なし。要するに作戦立てた奴自身は行ってないんだ。それでも記録は残る。でかい組織ってのは、だからこそ厄介なんだよ」


11-3-4


サークルは、実際にサルモールと敵対している。
どんな争いがあったのか、現地にいなかったオタマは聞いている限りでしかないが。

セリン「その報告書を見て判るのは、サルモール側ではおおよそのサークル幹部の戦力を把握しているということだ。最初から、精鋭中の精鋭を送り込んでいる。雑魚なんか一人も使ってない。まあ、それで全滅させられたんだから世話ないがね。…でも、おかしいだろ? 君らは自身の戦力を漏らしたりしないはずなのに、サルモールが知ってるってのは」

サークルは、開かれた組織ではない。
自分から、手の内を晒すようなことはしない、はずだった。

セリン「あいつらは、確かに油断ならない相手だ。でも、接触したことのない相手の戦力が判るわけではない。だから、もう少し調べてみて、それで判った。君たちサークルは、サルモールと取引をしようとしていたんだってことが。それも自身の勢力範囲が絡むことでね。だから、幹部同士の接触があった。そこで相手に戦力を把握されたんだ」

オタマの居ない間に本部でそういうことがあったというのは、知っている。
微塵も信用できないサルモールとの取引なんか、するべきではない。
師匠だってそれは判っているはずだ。
だというのに、そんな顛末を後で聞いたオタマが落胆したのは言うまでもない。
なぜ、師匠は止めなかったのだろう。

セリン「今、君の組織は支配権の拡大のために動いていると判断せざるを得ない。だからこそ、交渉が決裂して、サルモールと争いになった。君の組織の武力は、他を侵略するためのものだ」

なんとなくだが判っていた。
今のサークルは、どこかおかしい。

サークルは、まさしく強さを追い求める求道者の集団なのだ。
セリンに言われた『修行僧』という比喩はその限りにおいて正しい。
修行を重ね、自らの持つマジカを鍛え上げて、遥かな高みを目指す。
それは魔術的なことだけではなく、身体においてもだ。
それは昔も今も変わってはいない。


11-3-5


だが、個として強くあるべし、というのが師匠の思想だ。
孤立し、窮地に陥り、他が頼れない状況であっても最大の成果を出すためには、自身が強くあらねばならない。
それに、味方を巻き込むことを恐れていては全力で戦えない。
だからこそ、単騎で最大限の力を発揮し、生き残れるように師匠の戦術は組まれているのだ。
敵が現れたなら、他の手を借りず自力で討ち滅ぼせ、ということだ。
これは、役割分担、連携を基本とする軍隊とは全く異なる。

元々、サークルは師匠の教えについていこうとする求道者達が修行を続けるため作り出した、自給自足の団体なのだ。本来群れることをよしとしない師匠に、それでも我々は貴方の教えを請いたいと願い、許しを得たから発足することが出来た自発的な組織なのだ。
師匠はあくまでも道を示してくれるだけであって、代表の名など飾りに過ぎなかった。組織の運営にはほとんど口を出さない。任せきりだ。

だから…
サークルが組織として行動し、何かの目標を実現しようとするなど、ありえないはずだったのだ。

言葉を返せないオタマを休ませることもせず、セリンは続ける。

セリン「これが分かったから、色々と影響がないか広い規模で調べてみた。6年前から、魔術師絡みで妙な事が起きていないか、手を尽くしてね。それで判ったのは、同時期にタムリエル各地の魔術師ギルドに由来不明の魔術師が参加しているということだ。 …彼らがどこから来たのか、追跡して出てきた地名が、ウェイレストだよ」

つまり、魔術師ギルドにスパイを送り込んでいる。
それを、自己研鑽のためなどと言い訳するのは不可能だ。

オタマ「…地名だけでウチだって判断しないでほしいわ。そういうことやりそうな奴らがいるじゃない。王宮とか…」

自分でも苦しいと思いつつ、オタマは抵抗を試みる。
確かにウェイレスト、つまりハイロックの王宮は元々裏が多いことで有名だ。
冷酷で残忍な王として知られるモロウウィンドのヘルセス王が、若い頃にそこで陰謀を学んだ本場でもある。
だから、スパイ行為などはお手の物だったりするのだが、しかし。

セリン「そうだとしたら、魔術師ギルドに限ってるあたりが不自然なんだよ。 …魔術の心得があるかどうかは割とバレやすい。常人と違うモノを見ているからな。木を隠すなら森に、魔術師を隠すなら魔術師ギルドに。そのほうが何かを企んでいでも発覚しづらい。それに、スパイとして使うなら魔術師はコスト高すぎるから普通はやらないしな。元々資質がある人間を引っ張ってこなきゃいけない上に、実験材料や魂石、一流の魔術師の育成をするなら相応に金が要るものだ」

セリンに指摘されるまでもなく、オタマ自身が判っていた。
魔術師だけをスパイに使う組織など、他に知らない。

セリン「とはいえ、だ。彼らの目的を秘密裏に調査するのは無理があった。だから、深追いはさせずに諦めたよ。こっちが見つかるとマズイからね。 …でも、その行動パターンから判明したことがある。一人残らず、幻惑がかかってるんだ」

オタマは、黙ったまま、それを聞いていた。
先ほどから、頭の中で何かが警告している。

それでも、これは聞いておかねばいけない。
この男がどれほど事情を知っているのか、確認せねばならない。

セリン「つまりな。サークルの皆の意思統一は、幻惑でやってるんだ。彼ら自身は自分の意思でサークルに貢献してると思ってる。でも、そう思い込まされているだけだ。単に操られているから、同じ思想に共鳴してるように見えるだけ」

オタマ「それは…違う。ウチの中堅以上には個性的な奴らがいっぱいいるわ」

セリン「それは君も含めて、ということか? 確かに、君やスクヨを見ている限り、おそらく多彩な顔ぶれが居るんだろうなとは想像がつく。だからこそ、おかしいのさ。だって、その実力だったら他の適当な組織ならどこでもテッペン取れるからね。なんでそうする奴が一人もいないんだ?」

オタマ「…それ、は」

セリン「魔術師ってのは、本来自分勝手なもんだろ。そりゃ、君の師匠に心酔して、ついていく人間がいっぱいいる。そこまでは別におかしくはない。問題は、その後。だって、他人より強くなるっていうのが指標なのに、君の組織にはすでに凶悪な実力者がごろごろしてる。力を競っていけば、どうやっても覆せない実力の差ってやつが見えてくるんだよ。下の人間にはね」

圧倒的に強いオタマだからこそ、見えないものもある。
それは、力弱き者、心弱き者の発想だった。

ただ知識にのみ頼るのではなく、受け皿となる自身の改革。
それはむしろ、魔術師自身の素質という伸びしろ… つまり、生まれつきの才能の差を一層と際立たせる結果になるのだ。

初級の魔術、火炎を覚えている二人の魔術師が居たとしよう。
最初はどちらもオオカミの子供を焼き殺すのがせいぜいだ。鍛錬を行うことでその威力は上がる。
しかし、同じ時間をかけて鍛錬に明け暮れたうちの一人が大型のオオカミでも倒せるようになった時に、もう一人が凶暴なサーベルタイガーを倒せるようになっていたらどうだろう。
もし、両者が共に最善の師についていて鍛錬をサボったりしないなら、この差が埋まることはない。 …おそらく、一生かかっても。

セリン「どんなに頑張ったって越えられない壁があるなら、ドロップアウトする奴が出るのは必然なんだ。世界最強を狙えなくたって、地方のチャンピオンにはなれる。その方がいくらでも甘い汁が吸える。そんなの、冷静に考えれば判らないわけがない。元々強欲な魔術師が集まってるってのに、見切りをつけて離反していく奴が出ないってのが、おかしいんだ」

オタマが、頭を抱える。
脳内の警告が、うるさい。

セリン「サークルの底辺にあたる門下生への待遇は、決してよくないはずだ。出入りしてる物資の量の内訳を見ればわかる。魔術や戦力拡充のための物資は多いが、福利厚生に使えそうなものは最低限しかない。おそらく飯はマズイし、衛生状態だって良くはないだろう。牢獄とどっちがマシかな」

それは、事実だ。
サークルでは毎年、結構な人数の死者が出ている。

門下生同士の魔術の衝突によるものなら、まだいい。
栄養失調、脱水症状、疫病などで亡くなる門下生が、後を絶たない。
なぜかと言えば、サークル内に治癒の術者がおらず、募集もしていないからだ。
他者の手を煩わせる存在など、不要。自らを再生できれば、それで事足りる。
助力がなければ生きていけない者は、支えの手を失ってしまえば終わりだ。
だから、力をつけて己自身を救え。
それが師匠の思想なのだから。


11-3-3


寺院の地下には彼ら門下生達が生活する空間がある。だが、オタマにとっては全くと言っていいほど縁がない場所になっていた。
死霊術師でもない彼女が、しょっちゅう死体が転がっている場所に喜んで行くわけもない。 …つまり、そういう所だ。

犠牲者は皆、底辺に当たる門下生だった。
報告があり次第、その遺体はバラバラにされ、錬金術の実験材料として活用される。
魔術師の遺体から取れる材料の方が、通常の人間のそれよりも強いマジカを宿しており利用価値が高いためだ。
最後には亡骸も残らない。それが、強くなれなかった者達の末路。

彼らが最低限の生活でも生きているのは、そうして自然と間引きされているからだ。
劣悪な環境から抜け出したくて、皆必死に修行を重ねる。
強くなれば、まともな環境に移れる。
それだけが希望になって、門下生達を突き動かしていた。


だが。
元々はその仕組みでも、それほど酷い状態にはなっていなかったのだ。
だって、師匠の噂を聞きつけて師事しようとする者は、ほんの一握りだったから。

募集などかけていないのに、6年前からなぜか入門希望者が急に増えだした。
力不足な奴も、明らかに鍛錬に向かないような奴も、サークルの門を叩くようになった。人数の増加に伴って環境が悪化してきたのだ。
それを放置したまま、サークルは優秀な人材だけを拾い上げている。上だけ見ればうまく回っているように見えるが、下は酷いものだ。
これも、オタマにとっては納得の行かない変化だった。

セリン「しかし、よく考えてみろよ。門下生を辞めたいという奴がいるなら、そう言えば済む話なんだ。だって既に君みたいなのが居るんだぜ? 底辺の奴が多少抜けたところで、戦力的には痛くも痒くもないはずだ。破門して放り出せばいいだろう? でも、僕が調べた限り、この6年の内にサークルから脱会した奴なんてタムリエルのどこにもいない」

セリンは牢獄と言ったが、あの牢獄に鍵などはかかっていない。
皆、自分の意志でそこに居る。

だからこそ、辞めたいという人間が居ないのはどう考えてもおかしいのだ。
外に出れば、そこそこの力しかない魔術師だって普通に食っていけるのだから。
自身の遺体が魔術の材料となるのを知りながらそのまま残って死んでいく。それは、見ようによっては家畜と化しているようなものだ。

セリン「運び込まれる食糧の量、そしてサークルに加入しようと向かう志願者の数。これだけ見ても、全員が食っていける量じゃない。つまり、もう食う必要がなくなった奴   死者が出てるってことだ。違うか?」

セリンの質問に、オタマは沈黙で返す。

セリン「別に答えてくれなくていい。だが、脱落者も出さずに、死ぬまでストイックに修練を続けてるのだろう。 …幻惑にかかってるとしか思えないのは、そういうところだ」

オタマ「…スクヨは、違う。あいつは… 自分勝手に仲間増やしたりするし、…師匠のとこにも帰ってこない」

セリン「…まさに、そこだよ。僕が気になっていたところは」

歪むオタマの視界の中で…
セリンの口元が、揺れ動いている気がする。

セリン「あいつは、ただ在籍してるだけで、組織に全く貢献してない。魔術師としては、むしろ当たり前の行動を取ってる。だから、スクヨだけは徹底的に調べた。出てきた事実はひとつ。あいつだけは、幻惑にかかってない。6年以上、あいつは本拠地に戻ってない。首輪がついていないんだよ。イレギュラーだ」

オタマの背筋が、寒くなった。

セリン「前に同胞団のフリして手紙を送ったけどな。スクヨを送り返せとも言ってこなかった。あいつは今現在の内部の事情を知らないし、戻ってこいと言って素直に従うとも限らない。当面の害はないから放置されてるだけなんだ。だが… もしかするとスクヨ自身も、サークルがロクでもない状況になってるのに気がついているのかもしれないぞ。だって、6年だろ? 留守にするにしては、長すぎるぞ」


11-3-6


スクヨなんて、金魚のフンくらいに思っていたが。
確かに、ウェイレストに戻る時、奴は付いてこないのだ。

マトモじゃないと思っていた奴が、実はマトモだったのなら。

今の自分は、どうなのだろう。

セリン「聞いていいか? オタマ、君は、今のサークルと、6年以上前のサークル、どっちがいいと思ってるんだ?」

全身が、硬直する。
そんなの、前に決まって…

セリン「もうひとつ。6年前に、君の組織の幹部構成が変わっただろう? 例えば、凄腕の   



セリン   幻惑使いが、入ったとか。そいつが何をやったか、知ってるか?」



そこで、オタマの自制は、断ち切られた。
身体が勝手に動く。

 (走れ!)

椅子を、跳ね除けて。

 (走れ!!)

部屋を、突っ切り。

 (走れ!!!)

宿を、飛び出し。
ファルクリースを、飛び出して。

オタマは走り続けた。
ただ、突き動かされるままに。
その意味も知らされることなく。


11-3-7


嵐が去った後の、デッドマンズドリンク。
窓の外に居た小鳥は、驚いて逃げたのだろうか、もう居ない。

セリン「…そりゃ、都合悪いよな。操ってる奴にとっては」

彼は今までの話が、オタマを幻惑で操っている誰かに筒抜けになっているだろうということは予想していた。
その誰かにとって『オタマに知られてはマズい事』を話題に出したのは、確認のためだった。

ウェズ「…あの幻惑、オタマちゃん用の特注だろーね。五感をモニタリングされてるし、やばい時はこうやって強制退避できる。あれだけ本人が驚異的な力持ってるのに、完全に野放しにしとくわけ、ないか」

ウェズが溜息をつく。
オタマはここに来てから、ずっとウェズの3m圏内にいた。

ウェズの能力は、魔力を支配していない時でもひそかに発揮されている。
影響圏内のマジカの動きは、微粒子レベルで知覚できる。それが常に出来ているから、虚界の手で自由自在に操ることができるのだ。
だから、彼女の身体に何が起きているのかは手に取るように分かっていた。それをオタマ自身が気づいていないことも。

ヴィオラ「彼女も自分の意思で動いてるわけじゃなかった、ってこと…?」

セリン「そういうことだ。それも自覚なしにね。これ以上僕らと接触を続けてると、オタマ自身がそいつを断ち切ってしまいかねない。だから、強引でも逃げるように命令を出した」

彼女は優秀な魔術師だ。専門は破壊魔法だが、召喚でも並外れたものが使える。幻惑に抵抗するくらいできて当然だ。
自分が幻惑にかかっているなどと判ってしまえば、力技で引き千切るくらいはやってのけるだろう。
そのまま、不届きな幻惑の使い手に復讐を行うことも、だ。

フィア「これから、どうなっちゃうんでしょう、彼女…」

セリン「多分操ってる奴なら、ウェイレストの本部まで帰還させたいだろう。で、幻惑をかけなおしたり記憶を改ざんしたり。まぁ、彼女にかかってた制御のレベルを考えれば、たとえ幻惑が切れてしまっても、かけられてた間の記憶は残らないはずだが… 感情を揺さぶられたことは魂に刻まれるものだからな」

その相手にとっては、今のでギリギリセーフといったところか。

セリン「言うまでもないが、彼女みたいな相手を操れるっていうだけで既に規格外の実力の持ち主だ。テティスだって魔力感知できる相手に幻惑なんかかけられないぞ」

ヴィオラ「…そいつにここでされてた話が全部漏れてるわけでしょ。私としては、そっちのが心配」

セリン「そうだな。 …ところで」

セリンは、ヴィオレッタとダリオ、そしてリスの顔を見て、声を落とした。

セリン「ひとつ、君たちに仕事を頼みたい。受けてもらえるか?」





「これは… 面倒な奴らにバレたかな」

ウェイレスト魔術師サークル、本拠地の最深部。
誰一人、ここに入ってはならないと告げてある。

今、ここで座禅を組む、”彼女”以外は。

誰も聞いていないのは確実。だから、これは独り言。


11-3-8


その目で見ていたのは、オタマの視界。
その耳で聞いていたのは、オタマの聴覚。

”彼女”は、オタマの五感を好きなように覗ける。
危険な状況であれば、命令を下して離脱させることができる。

だから、それを本人に疑わせるような事を、黙って聞かせておくわけにはいかない。
”彼女”もあいつらの素性が気になってはいたが、ここまで長居させるつもりはなかった。
退避命令が上手く伝わらなくて、焦っていたのだ。

このサークルは表面的には、オタマの師匠が盟主であり指導者だ。彼の言うことが絶対だ。
しかし、その彼を裏から操っているのは、この女性に他ならない。
幻惑を駆使して意思決定権を握っているのが”彼女”だった。

盟主やオタマなどのサークルの実力者を支配するのには実に骨が折れたが、その力を自在に使えるようになったことを考えれば、大した苦労ではない。
勢力拡大のためには優秀な人手が足りないから、外部の魔術師達に幻惑をかけて入会者も増やした。そうやって少しずつ、”彼女”自身のための環境を整えてきたのだ。
”彼女”にとってサークルを支配することは、このタムリエルを魔術で支配するための第一歩なのだから。



夜明け前の、オタマと夜母の戦闘を思い出して、冷や汗をかく。

あの、虚無。
マジカを吸い尽くして、好き勝手に魔法を解除してしまう凶悪な力。
アレと相性が悪いのは、オタマだけではない。
”彼女”にとってもそうだ。

もし、オタマがあの吸収範囲に長く留まっていたなら。
あの黒き閃光が直撃していたなら。

オタマ自身は、あの不屈のマジカと生命力で耐えしのいだかもしれない。
だが、オタマは”彼女”がかけた幻惑までも維持してはくれないのだ。
そうなれば、”彼女”は飼い犬に手を噛まれかねない。
あの戦いで、誰よりも肝を冷やしていたのは、戦場に居ないはずの”彼女”だった。

オタマへの命令がなかなか届かなかったのも、あの力で幻惑が解除されかかっていたせいだ。
体内の深いところに幻惑の核を仕込んでいたから、オタマ自身のマジカが壁になってくれるはずだった。
しかし、なんとか維持されてはいたが、ギリギリだったのだ。
その幻惑が緩んだタイミングで、あのように言葉で揺さぶりをかけられてはたまらない。
とっとと帰還させてかけ直さなければ。

首を振って、済んだことを頭の中から追いやる。
そんなことよりも、今は懸念すべきことがある。


11-3-16


あいつら。
まだ、名前すら出ていない。結局目的も不明なまま。
いや、違う。こちらが聞いているのを分かっていて、話さなかったのだ。
この時点でオタマを引っ込ませなければならなかったのは、手痛い。

危険な組織なのは間違いない。
こちらが気づかないうちに、こちらの戦力を探り当てた。

このサークルの本拠地は、修行者達の生活の場であると同時に難攻不落の城塞でもある。
なぜなら、”彼女”の手で隅々までマジカの感知システムが張り巡らされているからだ。
スパイを侵入させるなど、無駄。
サークルに害意を持つ者は敷居をまたぐこともできない。全て即座に見つかる。

だから、ここに籠もっているうちは絶対に安全だ。
情報も一切漏れないと思っていた。

しかし、そうではなかったのだ。
たとえ触れば大怪我をするような相手であろうと、平気で済む範囲を塗りつぶせばその輪郭は浮き出てしまう。
あいつらが使った道具は、情報収集と推理。魔術師でなかろうが使える道具だ。
それを使って、”彼女”がここの支配者であることを探り当てた。
この本拠地に一歩も入っていないのに。

そもそも、さっきのやり取り自体がそうだ。
マジカの一滴すら使わずに、サークルの外側で得られる情報だけでオタマを… 操る”彼女”を圧倒してみせた。
何を言われたらこちらが困るのか、全部知っているかのように。

あの男も魔術師のはずなのに、なぜそうしているのか。
答えは明白だ。
こちらが感知能力も使いこなすレベルの魔術師達の集団だからだ。
マジカを使えば、こちらの網にかかる。
だから不便は承知の上で魔法を控えているのだ。
…あいつらは敵を知るのに、手段なんて選ばない。

あの場には、闇の一党だという二人が同席していたが…
虚無の力は既にあいつらの手の内にあるのに、その名に何の意味があるだろうか。

その器のアレだって、危険極まりない。
似たようなモノを言うなら、伝説上にひとつある。
ドゥーマーによって作られた身体に、強大な魂を注ぎ込まれて作られた存在。
タムリエルの歴史そのものを引き裂いた、破壊の化身。人造神ヌミディウム。
もうアレは、小型のヌミディウムのようなものだ。



歯噛みする。

”彼女”は、自身の目的を達するために、敵を作ることを厭わない。
幻惑で手駒を増やし、力で圧倒する。
強い手駒は寝返らないよう、厳重に首輪をつけて、自身を守る盾にする。
弱い手駒は使い捨てる。

単純な戦法だ。自らの手を汚す必要すらない。
でも、それだけでいくらでも結果がついてきた。
だが、それだけでは通用しない相手もいるのだ。

”彼女”の手駒は、魔術師だけ。
マジカの欠片すらも持たない駒の使い方など、知らない。知ろうともしてこなかった。
だって、世界の神秘を解明し奇跡をも再現できる魔術に長けた魔術師が、魔術を使う資格すら持ち合わせていない奴らより賢くないわけがない。頭脳戦でだって負けるはずがない。

”彼女”は理解していなかったのだ。
その考えこそ、愚かな者が持つ偏見に過ぎないことに。
力で知恵を断つことは、知恵で力を断つことより、ずっと困難だ。
そして、魔術もまた力でしかない以上、魔術を持たぬ者の知恵に対抗することも、また困難なのだということを。


11-3-17


スカイリムは、魔術師には厳しい土地だ。
ノルド共は見知らぬ魔術師を見たら、死霊術師かハグレイブンかの二択だと思っている。
つまり、基本的には山賊同様、討伐される側の扱いになる。政治的に影響力がある場所にいる魔術師はわずかで、首長自身の古い知己だとかそういうレベルだ。それほどの希少な人材であっても、ノルドの偏見のせいで肩身の狭い思いをしているようだった。
だから当然、”彼女”の手の者を仕込める場所など見つかるはずもない。
”彼女”にとって、スカイリムは野蛮人の住む未開の土地なのだ。

そんな状況を打開するべく送り出したのが、オタマだ。
ウィンターホールド大学に潜入してアークメイジの弱みを見つけ出せ、と言ってあるが、それは本命ではない。幻惑で強制もしていない。
オタマの性格からすれば不愉快なやり方だろうし、納得もしないだろう。
それは承知の上で送り出している。だからすぐ目的を達成せずにスカイリムをうろうろしていたのは、むしろ狙い通りだった。

本当の目的は、あの人間兵器にスカイリムの法に触れない範囲で自由に暴れてもらって、ノルド共の魔術への認識を改めさせようというものだ。魔術を軍や政治で活用することのメリットを、奴らは判っていない。それさえ理解させれば、政権に食い込める。
山賊退治でも巨人退治でも、オタマなら派手にやってくれる。最適なデモンストレーションができる。
頭の悪いノルド共だろうと、圧倒的な魔術の猛威を目にすれば考えを改めるだろうという腹積もりだった。
そのために、不自然に思われない程度に性格まで弄って、もっと好戦的にしてやったのだ。
だが、その成果を得る前に、こんなことになってしまった。

当然、ファルクリースにだって”彼女”の手の者はいない。
ノルドの墓と森しかないような場所だ。それこそ、死霊術師しか喜ばない。優先順位としては下の下だろう。
そんな場所に、サークルの存亡を脅かすような奴らが居たなどとは。
最悪の展開を恐れてオタマを引かせた以上、奴らの居場所ももう判らない。
その目的も所在もはっきりしない組織に、対抗策など立てられるのだろうか。

スカイリムという地は、”彼女”にとって頭の痛い問題だらけだった。





   開放したげる。後はうまくやんなよ、オタマちゃん。





「さて、どうしようか… う!?」


11-3-9


足を崩そうとしたその瞬間、異変に気づいた。



ぷつり。



幻惑が切れた瞬間、それをかけた魔術師には、対象がコントロールを外れたことがわかる。
フィードバックが返ってくるのだ。
人形の操り糸が切れたら、繋がった指は軽くなる。それと同じ。



ぷち、ぷち。
ぷちぷち。ぷちぷち。




ぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷち。



”彼女”の顔が、凍りついた。

”彼女”が幻惑をかけている対象が、片っ端から切れていく。

「な、な…なんなのこれ!?」

”彼女”の操り糸があっという間にズタズタにされた。
一つ残らず、全部。
あまりの事態に理性を失いかける。
これは、そんなにやすやすと引き千切れるものではない。
糸などという表現は生ぬるい。鋼線とでも言う方が相応しいくらいだ。

慌てて、何が起きているのかを把握するべく途切れた操り糸の先に意識を飛ばした。
”彼女”は幻惑の操り糸を伝って、自由自在に意識を送れるのだ。
触手さながらに意識を伸ばしていって、その先にある異変を感じ取る。

その瞬間、”彼女”の身体はぐらりとよろめいた。

必死に意識を保って、耐える。

「はぁ… はぁ…」

なんとか凌ぎきった。
だが、ここで意識を失っていたほうがマシだったかもしれない。
絶望的な事態になっていると判ってしまったからだ。



糸の中に、虚無が入り込んできている。

どくん。



マジカも、人の意思も、肉体も、なにもかも。
全て、全て、喰らい尽くす、虚無が。

何百とある、”彼女”の操り糸の先から、まっすぐに。
大元の、”彼女”めざして、やってくる。



”彼女”は気づいていなければならなかったのだ。
さっきのセリンの警告。

あれは、オタマに向けられたものではない。
あれは、サークルの皆に向けられたものでもない。

あれは、”彼女”に向けられたものだったのだ。

彼が伝えようとした内容は、たったこれだけ。



すぐに手を引け。



そう、最初から。
あいつらにとって『敵』と見なされていたのは…
オタマでもなく、サークルでもなく。

”彼女”一人だけだったのだ。


”彼女”は警告に気づかなかった。
会話の最初からオタマを引かせることもできたはず。
だけど、そうしなかった。
だからあいつらは、こちらを交渉の余地なしと見なしたのだ。



どくん、どくん。

”彼女”は自身の感情に気がついた。
これは、恐怖だ。
全身が音を立てて震えている。

逃げなければ。
立ち上がろうとして、足が震えて尻もちをついた。

どこまで逃げたって無駄なのは、”彼女”自身が一番よく知っていた。

”彼女”の幻惑の技量は、通常の魔術師のそれとは次元が違う。
タムリエル中に、”彼女”の意思を伝えるネットワークが出来上がっている。
確実に最速で命令を伝えるために必要なのは、強靭なマジカの経路。
それが途切れたら大問題だから、何があろうと断絶しないように魔術を構築してある。
それの根本が、”彼女”の意識に直接繋がっている。

逆に言えば…
”彼女”への確実な最短経路が、”彼女”自身の手で確保されているのだ。

あいつらだ。
あいつらは、この操り糸に気づいた。
どうやって知ったというのだ。



   雑ね。こんな網の張り方で蜘蛛プロの目を誤魔化せるとでも思ってるの?



どくん、どくん。

虚無。魔術を喰らうモノ。
流れ込んできたそれは、ストローで吸い上げられるように向かってくる。
一度侵入されたら、待つのは破滅だけだ。

この魔術経路は”彼女”が用意したもの。
現実空間には存在していない、誰も知らない不可視のケーブル。
その内部で異変が起きても、”彼女”以外にはわからない。
誰一人、気づかない。
そうなるように自分で設計してしまっていた。



どくん、どくん。どくん、どくん。

虚無がやってくる。
血管を流れるモノの脈打つ鼓動が聞こえてくる。

前から、後ろから。
右から、左から。
上から、下から。

「やめ、やめろ!!! 来るな、来るなアアアアア!!!!」

焦りながら必死に操り糸を解呪する。
自分の手でこれを断つ必要があるなんて、今まで考えたこともなかった。
最短の手順で1本をやっと断ち切る。
千切れた切り口から虚無が溢れた。

溢れた先からなにかが運ばれてくる。
それは経路を抜け出し実体化して、”彼女”の頭上からひらりひらりと落ちてきた。

たった一枚の紙。

地面に落ちたそれには、

禍々しい、真っ黒な手型が写し出されていた。

「ヒッ!!!!」

このマジカのネットワークで、”彼女”はあらゆる所を見てきた。
だというのに、今日この時まで気づかなかった。
あいつらからメッセージが届くまで。


11-3-10


そう、”お前を見ている”と。


奴らは、闇の一党から虚無の力を手に入れた。
シシスはもはや脅威ではない、のか?

違うのだ。
根本的に、違うのだ。
あいつらは、自分で気づいているのだろうか?

虚無の力が使える、ということの意味が。

夜母が居なくなったところで、シシスが居なくなったわけではない。
奴らは夜母の力を奪って自らのモノにした。
シシス自身は何一つ抵抗らしい抵抗をしていない。
それは、夜母の意思こそがシシスを『一党の守護者』足らしめていたから、とも考えられる。

だが… それだけで、シシス自身に意思がないと言い切れるのか?

滅びかけの一党を守るよりもあいつらに力を委ねたほうがよい、と判断したのであれば…
成り行きに任せるというのも一つの選択だ。

本当に、シシスの力は弱っているのだろうか?

あいつらも夜母や一党と同じように、シシスに選ばれただけ、ではないのか?



どく、どく、どくん。どく、どく、どくん。

涙目になりながら必死に解呪を続ける。
別の糸からも虚無はやってきているのだ。これで終わりなどではない。

別の切り口からまた何かが運ばれてきて、その場に姿を成した。
影が形を成すように、人の姿がそこに現れる。


11-3-11


ヴィオラ「…面白いわね。あの子の虚無を通して、こんな所まで来れるわけか」

「や、闇の一党…!!」

”彼女”にとっては、まだ生身の人間と思われる奴らの方が御しやすい。
速攻で幻惑をかけて洗脳すればよいだけだ。

無言で睨みつけて幻惑を発動させようとした途端に、”彼女”の視界から女が消えた。

「なっ… どこだ!?」

ありえない。
移動速度がいくら早くても、”彼女”自身だって魔術を感知くらいできる。
この区画全体のサイズくらい余裕でカバーできる広さなのだ。
だと、いうのに。

「なぜ、なぜ私の感知にかからない!? いや…」

そもそも敵意を持った存在が居るなら、拠点のどこにいても防衛システムがそれを読み取り警報を出すはずだった。
警報は沈黙したままだ。
全く、彼らの侵入を感知できていない。


11-3-12


ダリオ「おや、不思議らしいな、お嬢さん」

レフティ「そりゃあ仕方ないさ。一党がどういう奴らなのか、普通は知らないからね」

「ギャッ!?」

気配もなく現れて、至近距離でいきなり会話を始めた男二人の方めがけて護身用のダガーを振るうが、その刃は虚しく空を切る。
大振りして出来た隙に、鈍く光を放つ斧が”彼女”の右肩を捉えて、身体の内から嫌な音がした。
上体が床に叩きつけられて、命に関わる量の血がその場を赤く染める。
急激に力が失われていくのを感じながらも、必死に立ち上がる。

どく、どく、どく、どく。どく、どく、どく、どく。

こんなこと、しているヒマは、ないのに…!!!

ダリオ「教えてやろうか。あんたらの感知ってェのは、敵意を持つ者を探るやつだろう? だからダメなんだよ」

たった一発で”彼女”を窮地に追い込んだ男は、涼しい顔をしながら肩を鳴らした。

レフティ「そうそう。だって僕達は…」

もう一人の男の左手のダガーが、瀕死の”彼女”の脇を裂く。
途端、”彼女”の瞳孔が開いた。
精神がバラバラになりそうな衝撃をなんとか耐えしのぐ。
幻惑を発動させるために集めていたマジカが、あっさり散らされていた。

レフティ「人を殺す時、いちいち敵意なんか向けてないからね。そんなもの無くたって、魔法は扱えるだろ? 刃物だってそう変わらない。ナイフでステーキを切るのに、殺意が要るかい?」

全く悪びれずに微笑みながら、男はダガーについた血を振り払う。

「う、グッ」

”彼女”は自己回復の術だって相当なものだが、それを使うヒマがない。
まだ、虚無がやってくる経路の解呪は終わっていないのだ。
そちらを止めなければ、自身の死が確定してしまう。

”彼女”だって、ただ操るばかりで実戦経験がないような偏った実力者ではない。体術も鍛えたサークルのメンバーだ。
だが、瀕死に陥り、魔術を封じられて、時限爆弾を抱えたまま感知不能な相手と戦うなどという異常な状況を乗り越えることを要求されるのは、もはや魔術師の領分ではない。
こいつらに翻弄されながら、経路の解呪をしているだけで処理能力の限界に来ていた。


11-3-13


レフティ「僕達はただ君と遊びにきただけさ。最後の時間を一緒に過ごす相手を務めさせてもらえるとは光栄だね」

その軽口と同様に軽いダガーの刃が”彼女”の血を吹かせ、そのたびに精神集中が途絶える。
一撃一撃が重いわけではないが、この付呪がまずい。ただひたすらに『精神を乱すこと』だけに特化している。常人ならば軽い傷を負わされただけで発狂しているだろう。
いかに耐えられる”彼女”であっても、魔術の構築ができるほどではない。
こいつで確実に手傷を負わせるという目的なら、この男は最適で、最悪だった。

並行して切らなければならないマジカの経路に手こずる”彼女”を嘲笑うかのように、彼の刃は的確にその血管を断ち切っていく。
恐怖と絶望で、”彼女”の顔が歪んだ。


11-3-14


レフティ「あぁ、いいね。君のその表情。今まで誰にも見せたことなかったんじゃないか? 勿体無い。君の顔には傷をつけないから、終わりまでずっと見せて欲しいな」

まるで生娘を抱いているかのようなセリフを吐きながら、この男は氷の微笑を浮かべて、甘美な死を与えにくる。

こいつらに、殺意だの害意だのなんてない。
そんなものなくても、息を吸うように当たり前に人を殺す者達。
それもそのはず。シシスに仕える彼らにとって、殺人は救済の手段なのだから。

ひとつの魔法も詠唱しきることができないまま、”彼女”は死地に追いやられていった。

「く、狂ってる…!!」

ヴィオラ「…そうね。でも、貴女もきっと同じ。貴女が使い捨ててきた人間のコトなんて、考えたことないでしょう? だから」

霞む視界の端にすら捉えきれない女の声が、彼女の耳に響く。

ヴィオラ「…シシスも、貴女を気に入るはずよ」

それは、もう、すぐ、目の前。
シシスが、大きく口を開けて待っている。


   ああ、久しぶりのご馳走だ。


「イッ」


こぽり。



11-3-15


必死に足掻き、断ち切ることのできた幻惑の糸は、たった数本だけだった。
蜘蛛のつもりでいた”彼女”は、もはや巣にかかった蝶に過ぎない。

虚無が”彼女”の中にこぼれだす。
脈打つ心臓が血を送り出すように、とめどなく。
流し込まれた無数のゼロが、”彼女”の内側を上書きしていく。

「う、ごフッ、オオォォ」

存在が、喰われる。
その体内から。
その精神から。

「たっ、助け、あ、ァ」

もう、遅い。
”彼女”の終わりを見届ける、3つの黒い影。


声を失い、


聴覚を失い、


静寂がやってくる。


逃げ場など、


どこにも、ない。





「「「シシス、万歳Hair Sithis」」」





幻惑が解け、異変に気づいたサークルの他の幹部が禁を破って駆けつけた時、既に”彼女”の姿はなく…
ただ、床に血の跡が残るのみだった。





ちなみに、その後。
幻惑が解けて、ウェイレストに帰還したオタマとその師匠は、天地がひっくり返るような師弟対決をやらかすのだが…

それはまた、別の話。