瞬時に飛びかかってきたシセロの短剣を、セリンは盾で跳ね返す。
そのまま、右手の剣で凪いだ。
だが、シセロは驚異的な反応で、間合いから外れる。
セリンの剣は空を切った。
シセロ「君が落としたかったのは、太っちょのラグナルの首かな?」
彼の挙動は、とにかく素早い。
シセロ「このシセロの首なら、それでは遅いなァ」
そして、不規則だ。
急にしゃがんだり、ジャンプしたり。
フィアはダガーで援護射撃を狙うが、野生の獣ほど動きが判りやすくない。
狙いがつけにくいのだ。
フェイントだらけで、行動にパターン性がない。
戦いにおける彼は、天性のトリックスターだった。
シセロ「そっちの君らは見てるだけかい? それでも結構、観客は必要だからねェ」
ウェズも同様に、攻めあぐねている。
シセロ「楽しい。楽しいぞォ! アハハ、罪を償うまでは笑うまいと思ってたんだ。でも、君をこの手で捧げられるなら充分だよね!」
シセロは、その奇抜な動きとは裏腹に、的確に相手の急所を狙ってくる。
飛び上がっては目を狙い。
すれ違っては脇腹を狙い。
しゃがみ込んでは膝を狙い。
回り込んでは延髄を狙い。
シセロ「ところで、君はその剣でリンゴでも剥くのかい? 血がついていないじゃないか。このナイフの方が剥きやすいと思うけど、貸してあげないよ」
盾で防がれたら、くるりと一回転して反対側を狙ってくる。
そうしながら、フィアとウェズの射線を、セリンの身体で遮っているのだ。
短剣をその手に持って使う前提なら、フィアでも全く及ばないだろう。
セリンはその攻撃をなんとか防いでいたが、動きを読むのに苦労していた。
セリン「……鬱陶しい戦い方だな」
シセロ「ほらほら、このシセロの短剣捌きはどうだい? 観戦料は大サービスでその心臓1個だ! 支払いが大変なら分割払いも受け付けてるよ?」
だが、セリンが防戦一方かというと、そんなことはない。
だんだん、シセロの動きが鈍くなってきた。
シセロも違和感に気づいて、一旦間合いを空ける。
シセロ「……何だい、これは」
シセロの、足。
道化師の靴の裏側が、凍りついている。
セリン「寒い部屋だから、霜でもついたんじゃないのか?」
そう言いながら、セリンは間合いを詰めて一閃した。
シセロの髪の端が、ぱらぱらと落ちる。
間一髪の回避だ。
シセロ「ヒッ」
セリン「ああ、ごめん。寒いのは、君のジョークだった」
その足元を見ていて、セリンが何を仕掛けているのか、分かった。
一見、彼は普通に立ち回っているだけのように見えるが、実はそれだけではない。
この男は、足先で、床に弱い付呪をかけている。
セリンが通った後の床を、シセロが踏むと、靴が凍る。
足にダメージを受けるほどではない。
だが、凍りついた靴では、滑るのだ。
こんな手で魔術を使われたのでは、マジカを感知できない者には絶対に避けられない。
見た目は普通の床と何一つ変わらないから。
セリン自身の靴は、凍らない。
おそらく、術者自身はなんらかの形で除外している。
感知可能なウェズは問題ない。
一番遠距離から戦えるフィアは、それを踏むほど近くにいかない。
この戦闘で、足元がおぼつかなくなるのは、シセロだけだ。
ウェズ「……いつもながら、えげつない戦法……」
ウェズは何を仕掛けているのか既に知っていたのだろう。
だが、彼女は攻撃をしない。
その目線は、ずっとシセロのままだが。
何か意図があるのだろうか。
シセロ「……こんなインチキで、くっ、滑るっ、この私が……!」
セリン「いつもスベってるだろ? いまさら気にするなよ」
憎々しげにセリンを睨んで、目を逸らさないシセロ。
ダガーを構えたまま、不意に急突進してきた。
だが、それこそが、セリンの狙い。
彼はすっと身を躱すと、強烈な足払いを叩き込んだ。
シセロは勢い余って、部屋の端まで転がっていく。
セリン「……ウェズ!」
それが、合図だった。
フィアが、あっ、と思った時には、既に彼女は駆け出していた。
夜母の棺目指して。
この戦闘の勝利条件は、シセロの息の根を止めることではない。
最初からゼディスにとっては、シセロの殺害よりも、夜母の確保の方が優先なのだ。
ダリオは、ヴィオラとリスを連れて、シセロの元へと向かっていた。
居場所なら、リスに聞いて分かっている。
その入口の仕掛けの動かし方も。
だが、ダリオの口から、彼らにその仕掛けの詳細を伝えてはいない。
ただ単に、隠し通路がある場所を教えただけだ。
ダリオ「チッ……もう開いてる。急ぐぞ」
少し時間を稼いで、自分たちの手でシセロを仕留めるつもりだった。
そうでなければ、残った一党の皆に顔向けできない。
ゼディスに借りを作るつもりはない。
むしろ、シセロを殺害する責任は背負わせた上で、こちらが先に仕留めてしまえば貸しになる。
今後の交渉のためにも、立場的に少しでも優位にしておきたかった。
身内の救助だけでは、ほとんど奴らの手柄になってしまう。
だから、救助活動を済ませたら奴らに追いつけるように、聖域内の通路の開閉方法は伏せておいたのだ。
その程度では時間稼ぎにはならなかったのが、誤算だ。
全速力で通路を駆け抜ける。
その先には、まだ戦闘真っ最中のセリン達が見えていた。
幸い、シセロはまだ生きていた。明らかな劣勢ではあったが。
シセロが大げさにすっ転んだ時に、ウェズという娘を呼ぶ、その声が聞こえた。
だが、ダリオにはもうひとつ、聞こえてきたものがある。
正面に安置された、夜母の声が。
夜母「聞こえし者よ、その災厄の子を近づけてはなりません! 早く、早く排除するのです!」
そして。
ダリオ以外には聞こえないはずの、その声に。
ウェズ「”災厄”、ね。そんなに嫌うことないじゃない」
ウェズが答えるところを。
彼女はもう、誰よりも棺に近い。
駆け足を緩めて、一歩ずつ、夜母に近づいていく。
ウェズ「貴女は、知ってるはずだよ。その、死んでも癒えない苦しみを終わらせるのには、こうするしかないってこと」
ダリオ「……どういうことだ。お前、一体……」
夜母「ダリオ、惑わされてはなりません! その子を、引き離して!」
夜母の声は、悲鳴に近いものだった。
でも、もう、間に合わないのだ。
フィア「ウェズちゃん! 待って!」
聞こえていないだろうに、何かを感じ取ったか、フィアが制止の声を上げる。
それでも……
ウェズ「フィア、すぐ戻ってくるから。しばらく、我慢してて」
ウェズは、夜母に触れた。
ミイラが、光を放つ。
夜母「あああああ、ああああああ、アアアアアアアア」
それは、夜の闇が崩れる証、暁光のように……
隠し部屋の全体を照らした。
ミイラの中から、どこか禍々しい光球が姿を表す。
それが、ゆっくりとウェズの胸の辺りに吸い込まれていった。
光が収まる。
あまりのことに、皆、声が出ない。
だが、一番最初に反応したのは、体勢を崩したままのシセロだった。
シセロ「そ、そんな……そんな、バカな……夜母が、夜母が……」
なりふり構わず、ダガーも捨てて、床を這いつくばりながら、棺のところまで来る。
シセロ「……私達の、母、……これが、私達、の、母?」
光球が抜けた後の、ミイラだったもの。
砂状に崩れて、元の形を保てていない。
それが、シセロの指先から、ぼろぼろとこぼれた。
シセロ「何を……何をしてくれた……こんな、こんな……お前たちは、よくも……」
その隣で、俯いて立ち尽くすウェズの姿。
その顔を、上げた。
「……まさか、こうなるとは。忘れておりました。私にとって、読めぬ先は必ずしも災厄であるとは限らなかった」
その口から、聞こえてきた言葉。
「可愛いシセロ、心配は不要です。私は新たな肉体を得たのですから。こうして、聞こえし者たりえぬお前にも、声をかけてやれる」
シセロは、びくりとして、ウェズの顔を見上げる。
シセロ「……え、本当に……本当に? 貴女なのですか……? 幻聴や幻覚ではありませんか? もう、妄想だと間違うのはこりごりなのです……! この哀れなシセロに、証を下さい! どうか、どうか!!」
夜母「ならばその耳で聞きなさい。今度こそ、本当に『沈黙が死す時』でありましょう。『闇が昇る』のです。一度盗まれた言葉。しかし、これはもう、聞こえし者のための言葉ではありません。この夜母自身の、復活の時なのです」
それは、まさしく、彼が望んでいた言葉だった。
シセロの顔に、徐々に、笑みが浮かぶ。
シセロ「……やった……やった!! もう、聞こえし者すらも要らないんだね!! 夜母が、自ら子供たちを率いてくれる!! こんな素晴らしいことはない!!」
小躍りし始めるシセロ。
その姿を見ながら、フィアががっくりと膝をついていた。
フィア「嘘……そんな、そんなの……」
フィアは、後悔に打ちひしがれていた。
ウェズをなんとしても止めるべきだった。
大事な友人を、こんな形で失うなんて……
セリン「まだだ。……ウェズの言ったことを、忘れたのか」
その声に、ハッとなる。
セリン「ウェズは、まだ戦ってる。表面に出てきていないだけだ。友人なら、信じてやってくれ」
フィア「う……」
セリンは、歓喜のあまりこちらの存在をすっかり忘れているシセロを放置して、ヴィオレッタとダリオにも声をかける。
セリン「いつでも撤退できるようにしておいてくれ。絶対に、あいつの3m以内に近寄るな」
そう言いながら、部屋の出口の近くまで、気づかれぬようにじりじりと立ち位置を変える。
ダリオ「……俺たちは、あのバカを仕留めたくてここまで来たんだがな」
ダリオが進もうとしたが、セリンはそれを止めた。
セリン「気持ちは判る。だが……多分、あいつはもう、生きられない。夜母に愛された子供が、どうなるか……知ってるはずだ」
棺の前では、ウェズの身体を乗っ取った夜母と、シセロのやり取りが続いていた。
シセロ「夜母よ。私が忠実に仕えた、その日々の先に、こんな栄光が待っていようとは。私は幸福だ」
夜母「……可愛いけれど愚かなシセロ。忘れているのですね。お前は、決して忠実とは呼べぬ」
そう、告げられて、シセロはぎくりとなる。
夜母「お前が仕えた守りし者としての日々は、称賛すべきもの。なれども、お前の罪は重い。お前が粗相をしなければ、シロディールを失わずに済んだのです」
シセロ「あ、あ、あ、それは、それは、いかようにもお詫びを」
夜母「よいのです。私は、この身体を得られたことで不問としましょう」
シセロは、心底ほっとした顔で、平伏する。
シセロ「寛大な母に、感謝を……」
夜母「ですが」
彼はそれを、知ることが出来たのだろうか。
夜母「お前の父へは、虚無へ参ってお詫びなさい」
夜母の指から、黒い閃光が跳ねた。
あっと言う間に、シセロの身体は、球状の闇に包まれる。
一瞬の出来事だった。
シセロは、その回りの空間ごと、跡形もなく消失していた。
ヴィオレッタが、息を飲む。
ヴィオラ「嘘……え、シセロは……どうなったの……」
夜母「その生命の欠片ひとつ残さず、シシスの元へと参ったのです。私の手で、偉大なる父のところへゆけるなど、あのシセロにとってこれ以上の幸せがありましょうか」
つまり、死。
ダリオ「……あんなの、どうやって避けんだよ……」
ダリオも、身震いしている。
夜母「子供たちよ。お前たちの働きには、この夜母も感激しております。この身体をもってすれば、闇の一党をゼロからでも再興することが――」
そこまで、夜母が言って、止まった。
夜母「……これは、どうしたことです。なぜ。なにゆえ。私の、予知が、働かぬ」
頭を抱える、夜母。
その言葉を聞いて、セリンが呟く。
セリン「……やっぱり、予知能力者だったか。道理で、的確に一党を導けるわけだ」
夜母「……お前たち。この私に、一体何をしたのです。答えなさい!」
困惑する夜母に、彼の声が届いた。
セリン「なぜ貴女の予知が使えないのかなら、理由ははっきりしている。貴女の予知能力は、貴女の魂に由来するものだ。ミイラになっても、貴女の魂はその亡骸と繋がり続けた。だから、死んでもその力を振るい続けることができたんだ」
夜母はその予知を生かして、一党が繁栄するように仕事を割り振り続けてきた。
それは、シシスに捧げる魂の質だけの話ではない。
一党の味方になるものを生かし、敵になるものを殺すようにしていた。
勢力拡大のために彼女はその力を惜しまなかったのだ。
もっとも、聞こえし者が夜母のところで聞いていなければ、軌道修正はできない。
彼女の思った通りに行かなかったこともあるのだろう。
でなければ、一党はここまで落ちぶれていない。
セリン「貴女の魂は、ウェズの身体にその”力の門”ごと捉えられた。貴女が本来持つ力が使えないのは、もうその魂の分解処理が始まっているということに他ならない。……その身体に入った時点で、決まっていたことだよ」
夜母は、その意志でウェズの人格を乗っ取った。ように、見える。
しかし、それは一時的なものでしかない。
ウェズの身体において、夜母の魂にはできることが制限されている。
訪問者としての権限しか与えられていないのだ。
無理やり表に出てきたなら、それは越権行為になる。セキュリティが働きだす。
ウェズはもう、夜母の首根っこを押さえている。
コントロールを取り戻すための処理を開始している。
侵入者は、分解されて自我を失うのだ。
管理機構は、来客の無法を許しはしない。
★管理機構
ウェズのマジカ操作能力は、その表面的な部分に過ぎない。
彼女の本質的な能力は、その体内における絶対的な統制力。
その身体の内部では、あらゆる種類のエネルギーが彼女の管理下に置かれる。
どんな力を持った存在だろうと、彼女の統治を拒めない。
何者かの魂であろうと、”力の門”であろうと、デイドラであろうと。
ウェズの体内に入るというのは、彼女にその存在の全てを委ねるということ。
彼女は今、虚無を手中に収めたのだ。
セリンは、答えながら、左手の盾の後ろで、出口を指差していた。
逃げろ。
そう、伝えていた。
夜母「……そんな……では、これは……この、力は……」
シセロを消し去った力。
それは、ウェズの身体に、既に”力の門”が紐付けられていることの証明だった。
もう、シシスの恩恵は、夜母のものではないのだ。
今はただ、無断で借りて使っているだけ。
ダリオがセリンの手に気づく。
ヴィオレッタを引いて駆け出した。リスはもう既に離脱している。
夜母「私は、私は……消えるのですか!? 数え切れぬほどの一党の兄弟を導いてきた、この私が!? 私が居なくなったら、誰がシシスに魂を捧げるというのです!? 罪深いタムリエルの民達を、虚無に引き込まねばならないのに!!」
セリン「……フィア。逃げろ」
まだその場を離れられずにいるフィアに、セリンは焦った声を上げた。
フィア「でも……」
セリン「大丈夫だから、逃げるんだ!」
後ろ髪を引かれながら、走り出す。
夜母の声が、聞こえていた。
夜母「ああ……もう、私の時間がないのなら……せめて、今、この手で、この身体で……葬れるだけの命を、偉大なる父に捧げましょう。もう、それしかない――」
その声が、ウェズの口から出ているという恐怖を噛み殺しながら……
フィアは、まだ燃えている聖域を突っ切って、外まで走り続けた。
聖域の外では、ダリオとヴィオレッタが、ナジルを抱えて避難しようとしているところだった。
ダリオ「とにかく、聖域から離れるぞ。下手すると丸ごと消し飛ぶ」
ナジル「そんなにマズイ状況なのか。アーンビョルンはどうした?」
ヴィオラ「……シセロに、やられたわ」
ナジル「……クソッ。仕留めてきたんだろうな」
ダリオ「骨ひとつ残さず、綺麗さっぱりだ」
ナジル「……そうか。それだけが朗報だ」
ダリオは出てきたフィアを見ると、声をかけてくる。
ダリオ「俺たちはナジルを安全な場所まで運ばなきゃならん。様子を伺うなら、出てきたあの男に伝えてくれ。まだ聞かせてもらうことがある、ってな」
フィア「……分かりました。でも、あの人が無事か……」
ダリオ「心配いらねえよ。あいつは、ドラゴンボーンなんだろう」
フィア「……え……え!?」
ドラゴンボーン。
伝説の、竜の魂を持つ者。
フィアは、彼がそうだと、初めて聞いたのだった。
ダリオ「今は話してる余裕がない。安全なところまで運んだら、戻ってくるぜ。よくわからねえが、あいつの言う通りならあの娘はそのうち落ち着くんだろ? 話を聞くのは、それからでも遅くない」
そう言い残すと、街道の北に向かっていった。
リスがかさかさとついていく。
確かに、南の先にあるファルクリースには連れていけないだろう。
扉が壊れた入り口からは、まだ煙が出てきている。
山火事と思われてもおかしくはない。
だから、声をかけられたのも不思議はないのだが。
「……火が出てるわね」
フィア「はい。外には燃え移らないかもしれないですけど……」
「でも、中にはヤバイ奴がいる」
そう言われて、びくりとなる。
知らない顔の女性だが、関係者だろうか。
物音がして、入り口から出てくる影。
セリンだった。
フィア「大丈夫ですか!?」
セリン「……ああ、僕は平気だ。だが、これ以上は足止めできない。あいつを――」
そう、口に出して、固まる。
彼の目線は、フィアの向こう側。
その女性に向けられていた。
「手こずってるみたいね。セリン、あたしの力を貸してあげようか」
セリン「……オタマ」
振り返ったフィアの目には、肉食獣の笑みが映っていた。
オタマ「ああ、今回のお代はサービスしといたげる。あたし自身興味があるから、ここに来てるんだしね」
天才魔術師、オタマ・ブランシェ。
異常なマジカの波動に気づいてやってきた、もうひとつの災厄だった。