彼女は、笑わない子供だった。


10-1-1


帝都シロディールから南にあるブラヴィルという街で、ダークエルフの娘は生を受けた。
もっとも、当時はまだ村という方が正しい。
出産の場所が馬屋のわらの中、と言えば分かるだろうか。
それは、全くもって望まれない出生であったことを。

彼女の母は、身籠るまでは別の街の有力者の元で働く下女であったことと、その父親が誰であるかを知らされていないという事実から、推測できることは少なくない。
ただ、その母から彼女が聞くことができたのは、自らを追放した屋敷の者達への恨み節だけだった。
そしてその憎しみは、生まれてきた罪の無い我が子にも向けられていた。

それを、彼女は何よりもよく理解していた。
自身は、愛されることのない存在なのだと。





彼女は、要領のいい子供だった。

彼女の母は、まだ幼いうちから彼女を労働力として扱った。
子供の力や知恵で出来ることなど、通常ならたかが知れている。
なおかつ、彼女は身体的には小柄で非力であり、エルフでありながら魔力にも乏しかった。
それで食事も満足にとっていない有様なのだから、母がいかに冷酷だったか分かろうというものだ。

だが、なにをやらせても、てきぱきとこなして見せる。
ひとつ仕事を割り振ると、十の仕事をこなして帰ってくるような。
それは、相手の意図を読み取っているかのようでもあった。

だが、仕事が出来る者には、任せる仕事が増えるだけ。
いくら働いても、報酬は母が取り上げてしまう。
我が子を愛していない母にとって、それは当然のことだと言わんばかりだった。


そして彼女には、普通の子供が持ち得ない、たぐいまれなる能力があった。

彼女は知っていたのだ。
どう動けば、相手が喜ぶか。どう動けば、相手が悲しむか。
これから先、自分の身に何が待ち受けているのか。

予知能力。
これから先の未来に起きるであろうことを、前もって知る力。

非力な彼女が如才じょさいなく立ち回れたのも、仕事で最良の結果を引き出せたのも、全てこの力のおかげ。
答えが分かっている問題を解くことほど、易しいものはない。


しかし、この力では避けられない未来も見えてしまうのだ。
知りたくないようなことも、知ってしまうのだ。

予知の力を公表などしようものなら、母は気味悪がって彼女を殺してしまうだろうということも。
今の彼女の力では、そんな母から逃げ出すことは叶わない望みであることも。
どれだけ彼女が母のために働いても、いずれ奴隷として売り払われてしまうことも。
売られる先が、悪名高き暗殺者集団、モラグ・トングの幹部の男であることも。
自らもモラグ・トングの一員として暗殺者の仕事をさせられ、数多くの命を奪うことも。
そうして夜母よぼの称号をも手に入れるほどの実績を積んだところで、その男には力及ばず、欲望のままもてあそばれ続けることも。
そうして自分もまた、望まぬ子供を孕んでしまうことも。

なによりも。
彼女が行動によって選択できる、いかなる未来の先においても。

彼女自身が愛されることはないのだ、ということも。


全てを知ってしまったのなら、そこに希望などないのだ。


ただ、彼女には、ひとつだけ残された希望があった。
それは、自身の未来のある一点に、予知の働かない空白があること。

そこに、自分の人生を決定的に変える、何かがある。

そこに到達して、何があるのかを知るために、彼女は生き続けた。
予知の通りの辛い未来が実現していくのを、ただひたすらに耐えながら。


それは、第二紀324年のある日。

横暴な主人が仕事のためにエルスウェアへと発ち、家を空けたその隙に、彼女は屋敷を飛び出した。
そのまま村を出る。彼女の用事は、このブラヴィルにはない。シロディールの内にもない。


10-1-6


さして整備されているわけでもない街道を、ただひたすらに南東へと向かう。
川を越え、森を突っ切り、道が途絶えてもまっすぐに。
目的地は、ブラックマーシュの沼地の中。
そこに辿り着けば、彼女が知らない何かが待っている。

世情が乱れ、治安も悪化していた時期。
女一人で旅に出るだけでも、野盗のいいカモになる。
まして、彼女は昨夜主人に犯された時、これで妊娠してしまい、体調を崩すのだと知っていた。

だが、そんなこと、彼女にとっては些事さじだ。
野盗に出くわさない経路を選びながらひたすらに進めばいいだけ。
食料は既に用意してあるし、安全に休める場所だって知っている。
いつ自分が体調を崩して進行が遅れるのかも想定内。

今までずっと、このためだけに生きてきたのだ。
執念などという言葉では言い足りない。
彼女がそこに向かうのは、必然であり、既に確定した未来なのだ。
冷たい雨が降りしきる、暗い沼地を、脇目もふらずに彼女は進み続けた。


ただひたすらに、予知の通りに歩き続けて、到達した場所。
そのためだけに生きてきた、彼女の希望。


10-1-2


そこには、一本のヒストの樹が、ただ立っていた。


ヒストの樹、といえば。
シシスの力を象徴する、アルゴニアン達に信仰される存在だ。
その佇まいは、不思議と安らぎに満ちている。

……だが、この樹が、一体何だというのだろう。
震える指先で、それに触れる。

未知なる感覚が、彼女の身体を突き抜けた。
自分の奥にずっと存在していたのに、気づくことができなかった扉が、開く。

それは、虚無へと通じる力。
彼女に与えられていた力は、ひとつではなかった。
それが虚無だからこそ、彼女の予知の及ばぬところにあったのだ。


そして、理解した。


彼女は、誰にも愛されることはない。
彼女を愛してくれるものは、虚無以外にはありえないのだ。


シシスが、話しかけてくる。

お前を真に救えるのは、私だけだと。
お前は、我が伴侶なのだと。


これこそが彼女に与えられた、天啓てんけい
彼女はこの時から、モラグ・トングの夜母ではなく、シシスの夜母になった。


10-1-3


そのシシスの正体が、苦痛に満ちた人生の内で生み出してしまった、彼女自身の意識の内の別の人格だったとしても、仕方のないことかもしれない。
既に、彼女の心は壊れていた。
悪夢が次々と現実になっていき、決して逃れられない……そんな残酷な日々を生きていくためには、通常の精神状態ではやっていけないのだから。


ブラヴィルの村に戻った彼女は、歴史に残る蛇人ツァエシの支配者、ヴァルシデュ・シャイエの暗殺という大事業を成し遂げて帰ってきた自分の主人を、虚無から呼び起こした力で葬り去る。
そして、モラグ・トングの会合で宣言した。
私は、シシスの声を聞くものなのだ、と。


その後、既に懐妊していた5つ子は、シシス自身の子であると吹聴ふいちょうした。
だが、子供が大きくなって、父親の特徴が強く出てきては都合が悪い。
そこに我が子を手にかける必要性があったのだろう。

シシスに魂を捧げることが献身の証だ、という自身の言葉の通り……
彼女は、まだ手足で這うこともできない、無抵抗な子供達に刃を突き立てた。
それこそが愛であり、慈悲であるという狂信の元に、ひとりずつ、丁寧に。

そうしながら、彼女は生まれて初めて、笑顔を浮かべた。
鮮血にまみれたそれは、慈愛の表情としか形容できないもの。

子守唄を聞かぬまま育った彼女が我が子に与えられるのは、永遠の眠りだけだった。


もっとも、彼女自身は全て、自らが語ったことが真実であるのだと盲信していたのだろう。
ただ、彼女の信仰と矛盾する存在が受け入れられないだけ。
違和感の源は排除せねばならない。シシスの恵みを受けた自身こそ、絶対的に正しくなければならないのだから。
自身にとって都合が悪い存在をほふるという行為の醜さも、もう彼女には分からない。
ただ、破滅への道をひた走るのみだ。

その後、常軌を逸した我が子殺しの悪行が知れ渡り、彼女は恐怖に駆られた村人達の私刑にかけられて命を落とすことになる。
その村人の中には、恐怖を煽り村人を動かしたのであろうモラグ・トングの構成員達が多数混じっていた。


10-1-4


だが、彼女はおそらく知っていたから死を受け入れたのだろう。
その後、彼女の存在は闇の一党と呼ばれる者達にあがめられ、遺体はミイラとして保存されることも。
意識体のみの存在となった彼女が、末永く彼らを導くことも。
自らを裏切ったメファーラの信徒、モラグ・トングを脅かす恐るべき組織として、その名がタムリエルの全土に知れ渡ることになるとも。


10-1-5


家ごと焼かれ、炎と煙に満ちた空間で、彼女は微笑む。
いつか愛するシシスが全てを飲み込む日を夢想しながら、彼女は眠りについた。
彼女の死に顔は、苦悶の表情ではあっても、不思議と穏やかだった。
シシスとの繋がりがあれば、死など恐れることはないのだ。